(番外編) スラムダンク流メンタル術 ~2025京丹後ウルトラマラソン100キロ編

2025年9月14日(日)京丹後ウルトラマラソン100kに参加してきました。100kという距離もさながら、七竜峠・碇高原の峠道、そして何より例年猛暑で完走率が40%台の非常に苛酷な大会です。マラソン特にウルトラマラソンはメンタルのスポーツとよく言われます。私は走ることを自身のアイデンティティと位置付け、マラソンを通じて自身のメンタルを鍛え、それを自身の仕事並びに人生の糧にしていきたいと考えています。今回はかなりこれまでとは毛色の異なる投稿にはなります。例に漏れず今回も想定外のハプニングが次々と起きたので、それに対し何を思いどう動いたのか、備忘と反省も込めて記していきたいと思います

(というか単なる自己満ですので、ご興味のない方はスルーしてください)。

丹後ウルトラ100kコースの絵

出典:京丹後ウルトラマラソン公式ホームページより

第0章:夜明け前の誤算

「ハッ。。。!」

何かに急かされたように目を醒ます。辺りはまだ真っ暗、その中に点々とライトが灯り、多くの屈強なランナー達が喧々とした雰囲気で何かを待っている。。。数秒の間、何が起きているのか呆然としながらこの状況を把握しようとした。。。そうだ、これから京丹後ウルトラマラソン100kを走る。そのために今自分はここにいるんだと。

2025年9月13日(土) 23時15分、京都駅八条口を出発したバスは翌日2時30分に京丹後ウルトラマラソンのスタート地点、聖地「アミティ丹後」に到着した。バスから降りるとムワッとした湿気と熱気に包まれる。。例年猛暑と言ってもこの時間帯は長袖が必要と言われているのにこの暑さはなんなんだ。。。もはや嫌な予感しかなかった。

多くのランナー達に続いて更衣室となっている体育館に足を踏み入れる。すると運営の方が声を張り上げてこう言った。「まだ準備が出来ておりません!3時会場なので外でお待ち下さい!大変申し訳ございません!」と。マジか。。。てか元々バスも3時到着の予定だったよなぁ。うまくスピード調整してくれればいいのに。。。そう思いながら体育館の外に出る。外はそれなりの雨。しかし幸い屋根下のスペースを確保出来た。ここで30分仮眠して会場が空くのを待とう、そう思っていたのだ。

ウルトラマラソンは通常4~5時台にスタートして18~19時までにゴールするように制限時間が設定されている。つまりお天道様が出ている間に走り切らなければならない。4時半にスタートするなら3時には会場入り、そのためには1時に起床する必要がある。今回は深夜バスを使ったので、前日の19~22時まで家で仮眠(と言っても寝れないので目を閉じるのみ)、23時〜2時のバスで仮眠(やはり寝れないので目を閉じるのみ)、そしてまたここで仮眠をしようとしたのだ。2度あることは3度ある、やはり寝れないはずと思いこみ、アラームもセットしていなかったのだ。。。

初っ端から危なかった。。。疲れ切っていたのか爆睡していた。。。ただただ3時半に目が覚めたのは奇跡だった。今回一人参加で連れもいないので、誰にも声かけられず、気づいたら朝5時で皆出走しているなんて、最悪の悲劇も十分起きえた(最もこれは他人にとっては最高の喜劇にはなるが。。。)。そして普段の自分ならこれも自虐ネタとして喜劇にしていたであろうが、今回ばかりはちと事情が違った。自分には「絶対に負けられない理由」があったのだ。

眠りこけてしまった体育館の屋外スペース

眠りこけてしまった体育館の屋外スペース

ウェーブスタート制で自分のスタート時間は4時35分。1時間もあれば十分じゃないかと思われるかもしれないが、スタート前には着替えは勿論、適切なタイミングでの捕食、そしてトイレマネジメントが不可欠なのだ。特にこのトイレが通常長蛇の列となる。着替えもバスの中で十分休息が取れるようにパンツも競技用のものを履いていなかった。そしてタオルも「荷物は最小限ポリシー」の下、小さいものしか持ってきていない。マズい。。。更衣室まで行く時間もないが、さすがに女性も一定いる中でフルXンになるわけにもいかない。。。幸いこの時は柔らかい綿生地のブリーフを履いていた。「これで行くか。。。」9年マラソンをやる中で初めての事だった。この判断が果たして吉と出るか凶と出るかはこの後の章で明らかになる。42キロのフルマラソンであればさほど心配はしないのだが100キロのウルトラマラソンとなると話は違う。ちょっとした選択ミスが命取りになる。(ちなみにこれがトランクスであれば間違いなく血の海を見ることになる。。。)

第1章:出陣前の戦士たち 〜死へのカウントダウン

急ピッチで着替えて、コンタクトレンズも鏡なしで装着。股間にワセリンを塗る。たまたま運よく1.5ℓの水を持っていたので、それを手洗い用に使うことで体育館に入らずに装備完了。着替えながら、塩おむすび1つとエネ餅2つを捕食。モルテンの粉を500mℓの水で溶かす。フルマラソンであればスタート前に飲み干すので今回もそのつもりでいたのだが、時間もなくまた今回はウルトラなので走りながら最初の10kで飲み干す方針に急遽変更した。

スラムダンク流メンタル術その1:「全てをポジティブに捉える」

冒頭でお話したようにウルトラマラソンはメンタルのスポーツである。ウルトラマラソン攻略のためのメンタル術の一つ目は「全てをポジティブに捉える」である。自分は大分これが染み付いてきたので、今回も「最後に1時間熟睡出来て体力回復できたのはマジデカい」、「モルテン水はスタート前に飲む時間なかったけど、最初の10kで少しづつ飲む方が水分補給しつつスタミナが持つのでむしろ良い。新たなウルトラ攻略法を開拓出来て良かった」「パンツもきっと吉と出るに違いない」などを心の中で呟いていた。何か大事な忘れ物をしたとしても、その分荷物が軽くなって良かったじゃん、というくらいの気の持ち様が大事ということです。

俺たちは強い

出典:スラムダンク(集英社)

そして長蛇の列のトイレを済ませて、いよいよスタートラインに整列。ギリギリ間に合った!写真でも分かるくらいの雨による湿気がランナー達の熱気と混じり合い、最高の高揚感が会場を包む。このスタート前のひと時がマラソン最大の見せ場と言ってもいい。漫画キングダムの出陣前の戦士たちのようだ(最も戦で斬り合いが始まると後悔の嵐になるのだが。。。)

マラソンスタート前の写真
マラソンスタート前の写真(自撮り)

スラムダンク流メンタル術その2:「ゴールは細切れに設定、ゴールしたら過去は忘れよ」

100kをゴールに設定してしまうと、30k走っても「あと70k走らなあかん。。。」と絶望してしまいます。人生は旅によく喩えられますが、ウルトラマラソンを100年の人生に喩えて、1k=1年で自分の人生を振り返りながら走るのもオススメです。今回も「お、23k通過、この時わし人生絶頂のモテ期やったなぁ。。」とか「お、49k通過、人生最悪の年を走り抜けたぜ!」みたいな感じで楽しんで走りました。50kをすぎたら「よし、次は51歳の自分に会いに行こう」なんて目標を刻んでいきました。そして京丹後ウルトラはゴール含めて5つの関門があるので、5つのレースをそれぞれ走り切る、という感覚で行くのが良いと思います。各区間は平均20k程度なので、普段の練習をしているつもりで走るのが良いです(もっとも後半に行くほど、疲労は隠せませんが。。)

とりあえず日本一の高校生になりなさい

出典:スラムダンク(集英社)

第2章:第一レース ~海山園(第一関門)までの29.5k

第一関門までの29.5kは特段難所もなく、日が登るまでにどれだけ距離を稼げるかが重要となる。ただここで張り切りすぎると後半でバテる。あたかも若い時のムリが原因で歳を取った時に体調を崩すかのように。。。

スタート時点の熱気は例年以上の暑さだった。ランニングのコーチからは天気予報の予想気温は30°以下と聞いていたのに話が違う。この先どこまで暑くなるのだろうと不安に駆られた。ヘッドライトをしているランナーは自分以外周りにはほとんどいなかったが、スタートから1時間はライトがないと足元がおぼつかないので、これは持参して良かったと思えた。

スタートから2.5k地点、完全に冠水している地帯が突然現れた。動揺するランナー達、自分も必死でシューズを庇おうと不恰好なストライド走法に切り替えるも避けようもなくシューズは一気に重くなった(そしてこれが後々に大きく響いてくることになる)。

5k地点で最初のエイドが現れた。自分はモルテン水を携帯しているのでスルーした。最初のエイドは通常とても混雑するので出来れば避けたいところ、この技は今後も使わせていただこうと思った。

10k過ぎになると、徐々に周りが明るくなってきた。そしてある事に気づき始めた。「あれ、なんかスタートの時より涼しくなってるぞ?!」。コーチの天気予報はやはり正しかったのか?よし!この区間で貯金を稼ごう!

15k付近、マラソンを人生に喩えて息子達の事を考えていた。「夏休みのビーチフラッグ楽しかったなぁ。いつの間にか親父よりも速く走れるようになって正直嬉しかったなぁ。2人とも勉強はできないけれど、スポーツに熱中して友達を大事にしているのはせめてもの救いかな?今自分がこうして走っていることも、幾ばくかは彼らの人生に影響を与えられているのだろうか?」

この区間の見所はなんといっても朝焼けの久美浜湾沿いの絶景。そして29.5k地点の第一関門に目標の8時を少し回ったところで到着。30分ほどの貯金が出来た。

朝焼けの久美浜湾

出典:京丹後ウルトラマラソン公式ホームページより

第3章:第二レース ~弥栄地域公民館(第二関門)までの54.5k

へしこおにぎりを頬張りつつ、いよいよ第二レースへ。第一レースは全てリセットして新たな25kレースが始まったと気持ちを切り替えた。ここでの難所はなんといっても37k地点の七竜峠、ラスボス碇高原の前哨戦で、「七竜を制する者は丹後を制する」とまで言う人もいるほどだ。

初めて走るコースはどこに魔物が潜んでいるのか分からない。それがまたウルトラマラソンにスリルを与えてくれる。しかし実際の七竜峠は驚くほど拍子抜けだった。。。

自分はこの日に備えて、7月は毎週末京都の保津峡32kを走っていた。このコースは8k上り、4k下り、4kフラットのコースを往復する、自分が以前京都のランニングクラブに所属していた時によく練習したコースである。もっとも8月後半に入り熊の出没が怖くなり別のコースに変更してしまってはいたが、保津峡に比べれば七竜峠はまさに中学レベルであった。それともこれが後々のラスボス碇高原との決戦においてボディーブローのように効いてくるのであろうか?しかしやはり初参加のレースが自分には面白い、とこの時思った。トレランは一度きり、一度走ったコースはもう走らないとこの時に決めた。

桜木花道「中学レベルが!!」

出典:スラムダンク(集英社)

この区間の見所はなんといっても夕日ヶ浦のジオパーク日本海の絶景。いい波がたってサーファー達が人生を謳歌していました。

夕日ヶ浦

出典:京丹後ナビ公式ホームページより

そして54.5k地点の第二関門に11時10分を少し回ったところで到着。フルマラソンを超える距離を走ってきているとはいえまだまだ前半戦。第二レースは25kを丸3時間かけて走ったことになる。。おいおい大丈夫か?いよいよ本レース最大の鬼門、第三レース碇高原に突入する。

第4章:第三レース ~碇高原管理事務所(第三関門)までの72.3k

絶対に負けられない戦い 〜サロマ湖の亡霊 & 完走予想率30%

「記念すべき第40回サロマ湖100kウルトラマラソン(6/29)に参加してきましたが、まさかの公式戦初の69k時点でのDNF(Do Not Finish)となりました。これが走力不足だけが原因なら悔いはないのですが、関門制限時間を自分が意識しておらず、20秒遅れで回収されてしまいました。つまり自分のガサツさと不遜さが原因でこの晴れ舞台を活かせなかったことが非常に悔やまれますが、この悔しさは「どの関門も全力投球で立ち向かう」という教訓として次に活かしたいと思います。にしても暑かったなぁ…」(自身のFaceBookより)

まあ極めてよくある話ではあります。が、こう明言した以上、また70k地点でDNFして、「いや〜それでも70キロ走るなんてすごいです」なんて皆さまにお気遣いいただくのはもはや耐えられなかったわけです。そしてもう一つの「絶対に負けられない理由」は、7月中旬の京都保津峡練習にスポットで参加した際に、コーチに「自分の完走予想率は30%」と言われたことです。ランニングクラブのメンバーを辞めたのは1年前、仕事の都合で東京へ行くためでした。その後独立して、自分で自分と家族の食い扶持を稼がなくてはいけなくなり、どうしても走ることより仕事が優先になっていました。このクラブはガチなので、ここに入るとランニングを優先せざるを得なくなるので、再入会を避けていたわけです。コーチにはもう一度入会して完走を目指すようにアドバイスを受けましたが、自分は「自分の力だけで完走を成し遂げてこの30%を覆してやろう」と心に秘めていました。

時限爆弾

いよいよ本丸の第三レースが始まった。第三関門の制限時間は14時40分、第二関門を11時20分に出発した。距離こそ18kだが、ここは京丹後最大の難所と言われるラスボス碇高原の10k近い上り坂がある。どれだけの時間を見込めば良いか皆目見当もつかなかったが、キリよく3時間と目標を定めた。つまり14時20分に第三関門に到着する。制限時間ギリギリに着くようでは次の関門で落とされる可能性が高いからだ。

第二関門の休憩所を出発してすぐに股間に針で刺したような激痛が一瞬走った。「ここで来たか。。。」と思った。ブリーフで走ったことで股擦れが通常よりも早く起きたようだ。「これは全治1週間だな。。」そう思ったが、ここで次のメンタル術を繰り出すことにした。

スラムダンク流メンタル術その3:「都合の悪いこと(奴)は一切考えないようにせよ」

「股間は全く痛くない。痛くないんだ。」そう思いつつ全身のフォームが正しくなるように努めた。そしてマラソンを人生に喩えて、自分の将来に想いを馳せた。もう既に未来の自分の領域に突入していた。京丹後ウルトラマラソンが自分の人生そのものだとすると、人生最大の山場が55歳〜72歳で起きるんだなぁ。まだまだ楽はできないなぁ、これからじゃないか。。

股間(=都合の悪いこと)に気を取られるとそこばかりに神経が集中してしまいフォーム全体が崩れてしまいます。人間関係も等しく、嫌な奴らとは一切付き合う必要はない。好きな人たちだけと繋がっていればきっと良い結果が産まれる、そう思っています。それは独立してこれまで以上により多くの人たちと仕事をしていく中でも、自分は何も変わらないのに「捨てる神あれば拾う神あり」という体験があったからです。そして捨てる神にもすがらねばならなかったリーマン時代にはもう二度と戻りたくない、そんな事を考えながら走っているうちに不思議と痛みは消えていました。

さて股間ネタも尽きてきたのでここでネタバレをすると、股間は全治2日の軽傷でした。競技用パンツよりも吉と出たわけです。

スラムダンク流メンタル術その4:「あるべき論にこだわるな、柔軟に方針変更せよ」

とにかくこの第3レースはどこに魔物が潜んでいるか分からない、そして60kを過ぎた辺りから徐々にお天道様が地を照らし出した。少なくとも確実に第三関門をクリア出来る安全地帯まではとにかくペースを上げて走ろう、と思った。コーチからも「絶対に歩くな、歩いた時点で完走は消える。」と言われていたし、実際に昨年の飛騨高山ウルトラマラソンはその教えを実行し、ギリギリ完走することが出来ていた。

ここでもう一つの理論を紹介したい。それは「キツい上り坂は歩いて体力を温存して、ここぞという場面で走るべし」という考え方だ。つまり「緩急をつけることでパフォーマンスを上げよう」という考え方である。実際、京丹後ウルトラ攻略のYoutuberでこの理論を説く人は多く、コーチの考えはどちらかというと根性論と捉えられて少数派である。ここでメリデメを整理してみた。

メリットデメリット
歩かない派(コーチ理論)・上り坂でも歩くより走る方がスピードは出ている

・一度歩くと歩きグセがつく
・上り坂で体力を消耗してしまう

歩く派 (Youtuber理論)
・上り坂での体力を温存出来る・上り坂でタイムロスが発生する


自分は特にこの歩きグセがつくのを恐れて、歩かない派を貫いていた。そして多くの人が上り坂を歩く中、自分は遅くても走って歩を進め、ゴボウ抜きにしていった。しかし66k地点のエイドが近づいてきた時、意識が朦朧とし始め、耳鳴りがするようになった。マズイ。。。これは、、、熱中症の症状ではないか?

しかし熱中症になりかけたからといってリタイアするという考えは一瞬たりとも浮かばなかった。ここで考えていたのは方針変更である。確かに歩かずに完走は美しいが、今の自分の至上命題はあくまで「制限時間内にゴールすること」である。そのためにはまずは第三関門を確実にクリアしなければならない。時計と睨めっこすると第三関門まで早歩きしたとしても制限時間には間に合う計算だった。もはや安全地帯に入っていたのである。

「よし、歩こう!」

エイドで十分水分補給をし、帽子に氷を敷き詰めて、ゆっくり歩き出した。そして体調が回復するのを待って、要所要所で走った。気づくと周りは皆そうしていた。そうして目標の14時20分前に無事、碇高原管理事務所に到着した。

碇高原を歩くランナー達
碇高原を歩く自分
第三関門クリア

第5章:第四&五レース ~栄光の架橋へ

最大の鬼門碇高原をクリアしても油断はしない。「どの関門も全力投球で立ち向かう」、これはサロマ湖の教訓でもあった。実際70kから先の世界は「一瞬先は闇」、今の自分の実力では一瞬たりとも油断は出来なかった。ここまできてリタイアするわけにはいかない。

碇高原を登ってきた分、第四レースは10K近くの下り坂となる。下りの方が確かにスピードは出るが、実際脚への負担は下りの方が大きくなる。つまり故障の確率も高まる。キロ7分くらいのスピードに抑えつつ、何かに追い立てられるかのように下界へと歩を進めた。

戻れ、仙道が攻めてくるぞ

出典:スラムダンク(集英社)

ここからはエイドでも最低限の水分補給をしたら、その場に留まらずに1カップ分の水分を歩きながら飲むようにした。そうなるともはや第四関門も1エイドに過ぎなかった。そして上り坂では歩き、フラットもしくは下り坂で走る戦略で一歩一歩安全地帯へと近づいていった。

90kを超えるとここからは1kクリアするごとにゴールへのカウントダウンを始めた。そして再び意識が朦朧とし始める。こういう時は定番の三井寿のこのシーンを自身になぞらえる。このシーン、マジで最高すぎる。。。てかこのシーンを引用したくてこのブログを書いていると言っても過言ではない。

俺の名前を言ってみろ

出典:スラムダンク(集英社)

95k地点で突如、緩い下り坂からスピードに乗り始め、フラットになってからもキロ6分00秒のスピードで走り始め、ここまで生き残っている屈強なランナーたちのゴボウ抜きを始めた。自分でもどこにまだこんな力が残っているのか不思議で仕方がなかった。もはや完走は確実の安全地帯にいたので、こんな無理をする必要はないのに。。自身の理性と裏腹に体が動いていた。神経が触れたのかと怖くなり、慌てて97k地点でスピードを緩めた。

そして遂にラスト1k、ここまで来れば全身全霊、この京丹後の地に吐き捨ててやる。と再びキロ6分ペースでファイナルランを仕掛ける。沿道からも「速い!」という驚きの声援を受ける。これでようやくサロマ湖の亡霊ともオサラバが出来そうだ。スタートしてから13時間30分4秒、遂に長かった1日を今年一番の最高な充足感で終えた。

エピローグ

帰りの京都駅行きのバスは19時発。ゆっくり着替えて間に合う時間にゴール出来て良かった(逆にそうでなかったらどうなっていたのだろう。。。)。恐る恐る靴下を脱ぐと両脚の親指の爪が真っ白になっていた。が、致命傷ではなさそうだ。股間の痛みだけが気になるが怖くて見る気になれないのでとりあえず封印。帰りのバスで祝杯を上げようと行きの荷物の中にウィスキーのボトルを忍ばせていた。そしてエイドで携帯ボトルに水を補給してバスに乗り込む。バスが動き出すのを待って、チョロチョロと茶色い液体を携帯ボトルに流し込む。こんな携帯ボトルの使い方は完全にオススメ出来ない。完走メダルを肴に一人宴会が始まった。こんなことをやっているランナーは自分以外いなかった。

完走メダル

バスが22時ちょうどに京都駅八条口に帰ってきた。バスから降りるとあからさまなガニ股でタクシー乗り場まで歩く。運良くすぐにタクシーはすぐに見つかった。自分の気持ちの持ち様なのか、この時間の京都の中心街は特に華やいで見えた。

翌日は休日で次男のアメフトの試合観戦に行った。その後、久々に以前家族で住んでいた地域にあった健康ランドに家族全員で行った。恐る恐る股間の病状をチェックすると思っていたより軽傷であることが分かった。股擦れは全くなく、バットとボールの摩擦でボールが少し赤くなっていただけであった。オロナインを塗って1日で完治した。ウルトラ完走にしては珍しい、ほぼ無傷の帰還と思えたのだが。。。

その翌日の夜から両脚の親指が熱を持ち始め、日に日にどんどん腫れて行った。症状としては痛風にも似ていたので整形外科で血液検査を受けることになった。結果、蜂窩織炎(ほうかしきえん)という足の爪と肉の間から細菌が入り込む感染症であることが分かった。今回は例年よりも涼しかった一方で、スタートから雨が降っていた。特にスタートから2.5k地点、完全に冠水している地帯を走ったことで早い時点からシューズが湿った状態で走ることになった。ただでさえウルトラを走ると足がムクれるのに、それに拍車をかけるように足がムクれていたが、自分のシューズはサイズぴったりの26cmだったので、終始両脚の親指が締め付けられていたのだ。ウルトラマラソンでは少し大きめのシューズを履くことをお勧めしたい。ほぼ徹夜に近い状態で京丹後の難コース100kを走り、そのまま帰りのバスで祝杯をあげたことで自分の体は完全に弱っていて、そこを細菌にツケいられたということだ。もしかしたら翌日の健康ランドも影響しているのかもしれない。1時期は痛みも腫れも酷かったが、1週間経った今大分回復してきた。9年マラソンをやっている中では一番の怪我かもしれない。まあ完走の代償としては致し方ない。2週間近く全く走らないなんて、この9年では考えられない事だが、まだフルマラソンシーズンまでは十分時間があるので、神様がくれた休日と割り切って回復に努めよう。今年は国内のフルマラソンは一切エントリーしておらず、これから海外のマラソンにエントリーをするつもりだ。さて、次はどこを目指そうか?

完.

エピローグ

出典:スラムダンク(集英社)

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